ことばの0からのビジネス~ゼロビジブログ~

大阪の福祉施設で働く社会人である「ことば」が インターネットでお金を稼ぐ(月500円でも!)ことを 目標に、ブログを更新しながら ビジネス関連の学習、日々の好きなものや作品、 楽に仕事と向き合うための考え方や、 対人関係での悩みを減らすための価値観をお勉強していきます。 漫画、イラストを描くのも好きです。 記事内のイラストは、ぜんぶ描いています( *´艸`) もっと増やしていきたい・・! よろしくお願いいたします。

タグ:仕事

こうしんことは3
こんにちは、ことばです( *´艸`)

今回のテーマは
「このブログのPVとUUをお伝えします」という
内容です。

このテーマを書く理由は
ゼロビジブログのコンセプトの一つである
「アフィリエイトの知識、能力のない人間でも
0からブログを始めて、稼げるようになるのか」


ありのまま、お伝えしようと考えているためです。

個人でお金を稼ぎたいと考えておられる方の
ひとつのモデルケースになればいいなぁと
思いながら書いています。


よろしくお願いいたします。



【以前の活動報告の記事】


「第1回ブログの今を、ご報告するの巻」

「第2回ブログの今を、ご報告するの巻」

「第3回ブログの今を、ご報告するの巻」

「第4回ブログの今を、ご報告するの巻」

「第5回ブログの今を、ご報告するの巻」

【ここ最近の動き】

ことばの0からのビジネス~ゼロビジブログ~は
2019年8月2日から書き始めて
今回で77記事です。

前回の活動報告を書いた後から今まで
週に1回以上の更新頻度で
ブログを書くことが出来ました。

更新出来ていなかった日々でしたので
結果はどうあれ、更新が継続出来ている事で
気持ちは軽かったのですが

本業の仕事の悩みというか、色々と
考えることがあり、5月初旬は気持ちを
安定させる事が課題でした。

ブログを毎日更新していた時は
熱量が高かったので
勢いで継続していけましたが

自分は本来、物事に対しての熱量が
高いタイプではない
ので、意欲が低下した時に
反動で書けなくなった経験から

「自分の場合、継続しないといけない事は
思いの熱さは関係なく、日常に組み込む
仕組みを作らないといけない」


「今までソシャゲをしていた時間を
ブログとイラストを描く時間に充てよう」


考え方と行動を、そちらに
徐々に変えている最中です。

それ以外の動きは、箇条書きで
ざっとお伝えしますね。

★グーグルアドセンス、合格しました。
一応、設定させて頂きましたが
収益はまだ0円です。

ライブドアブログは、自動広告を
スマホで表示させる事が禁止されているので
PC閲覧の方が対象なのですが

こちらのブログのアクセス数として
9対1くらいの割合でスマホが多いので
アドセンスをほとんど
活かせていない状況です笑

月に500円稼ぐ目標は未だ遠き理想郷です。

★Wordpressを購入しました。
流れとしては、アドセンスに
合格する前に購入しました。

後々、Wordpressに移行する予定ですが
調べたら、結構引っ越しが難しそう・・💦

ドメインパワーをあまり落さずに、ちゃんと
引っ越しできるのかなと、少し心配しています。

こちらは記事を書きながら、並行して
進めていければと思っています。

★液晶タブレットを購入しました。
PCでイラストを描いていない方には
馴染みが薄いかもですが

絵を描く道具を、板のタブレットから
液晶のタブレットに変えました。

板タブを買って、PCで絵を描き始めたのは
10年くらい前からですが、板タブの書き心地とか
感覚に慣れるまでに、相当時間がかかりました。

ですが、板タブから液タブへは
すんなり慣れました。
単純に描きやすいし、とっても楽しいです。

この辺は記事に出来そうだけど
ぼくのイラストに興味がある方が
いらっしゃるのか・・疑問です笑

それでは、PVとUUの説明に移りますね。

【PVとUUのご説明】

「PV」(ページビュー)とは
このブログが何回開かれたか数値です。

ぼくがブログを開いても、あなたがブログを
開いて下さっても「1」カウントされ、
更新する(ページ移動する)たびに増えます。

「UU」(ユニークユーザー)とは
このブログに訪問して下さったの数値です。

ぼくが訪問しても、あなたが訪問して下さっても
「1」カウントされます。

日付が更新されるまでは、同じ方が
何度ページ更新しても
こちらのカウント(UU)は増えません。

それでは、この記事を書いている
段階の数値をご報告します('◇')

現在の総PV数が3175(推定)
現在の総UU数が2472

となっております。

2021年4月は、PV502、UU332
2021年5月は、PV323、UU195(18日まで)

先月は、PVが500を超えました。

本当に少しづつですが、このブログを
見て頂ける方が増えているようで
嬉しく思います。

いつもありがとうございます。

【よく検索されている記事】

次は、今後のためにSEOの観点からみて
このブログで、どんな記事が
よく検索されているか
、紹介させて
頂きますね。

2021年4月の記事毎のPVはこんな感じでした。
右側の数字がPVです。


1「みんな言ってるよ」という言葉の恐ろしさ。 230
2「誹謗」と「中傷」と「悪口」と「事実」~思うだけでいいこと~ 44
3「無駄な努力、ご苦労様」だと・・! 12
4弟子が、師匠から離れるとき【守破離】 12
5「第5回、ブログの今をご報告するの巻」~2021年3月まで~ 11
6「ナメられたくないっ!」~マウントを取ってくる人へ贈ることば~ 11
7「怒るな、さらば与えられん」~怒らない考え方~ 10
8ゆうしゃさんは、ほんとうにゆうしゃだった。 10
9「ポジショントーク」と「詐欺」のおはなし。 10
10目的達成のため、手段は問わない~マキャベリズム~ 9

上位の10記事です。
先月はアクセス解析のデータをコピペしたのですが
なぜか今回は上手くいかなかったので
打ち直しました

検索で上位を取るというのは
PV的に、とても重要な要素
だと
毎月思い知らされています。

アクセス上位の記事のイラストや内容は
ちょこちょこ描き直したり、追加しています。


液晶タブレットだと、より紙に描いている
感覚に近くて描きやすいので、良い感じです。

Google先生に気に入られて
検索上位の記事を増やしていきたいものです。

Wordpressに移行する予定ですので
ライブドアブログでいつまで記事を
更新出来るのか分かりませんが

SEOも少しずつ、意識していければなぁと
思っています。

【今後の展望】

★記事の更新を続けて、PVを増やす
★Wordpressに移行する
★初期の記事の内容やイラストの描き直し


当面の目標は、こんな感じです。

来月の報告では、Wordpress移行の段階を
進めていけてたらいいなぁと思います。

相変わらず亀の歩みですが
少しずつ目標に近づいて
いけてるような気はしています。

また読んで下さると
嬉しいです。

ことばでした。
ありがとうございました( *´艸`)

うらではつらいことは
こんにちは、ことばです( *´艸`)

今回のテーマは
「楽しい仕事なんてあるのかな?」
という内容です。

結論から書かせて頂きますと
「仕事は楽しくはないけれど、他人に
楽しく伝えることは出来るかも」
というものです。

よろしくお願い致します( *´艸`)

【仕事とは、そもそもなんなのか】

あなたはお仕事、楽しいですか?
いま、楽しく感じられているのであれば
本当になによりです( *´艸`)

ぼくの今までの仕事経験ですが、
真似事の営業から始まり
いくつかの接客業を経て、今は福祉・・
介護施設で働いています。

子供の頃は「消防士になりたい」などと
思っていました(ミニカーが好きだったので)

「仕事の定義」ってなんでしょうか?

ググってもいまいち要領を得なかったので
自分で考えてみますね。

「自分が世の中に与えた価値が
金銭的な対価として、1円でも受け取れるもの」

なのかなと、思います。

「金銭を受け取れる作業」が仕事で
「金銭が発生しない作業」はボランティアだと
自分では考えています。

今は、職業選択のための材料というか
「その職業に就く前に、ネットなどで
情報をいくらでも仕入れることが出来る」
ため

自分の性格、性質と相対して考えて
「自分に合うか、合わないか」の見極めが
ひと昔前より、容易になったと考えています。

ですのでネットが普及する以前よりも

「この仕事、思っていたカンジじゃない」
とか
「まじでぜんっぜん想像と違う💦」みたいな理由で
即退職される方って、総数的には
減っているのではないかな?と思います。

若い方は「Youtuberなどの配信者」になりたい方や
ひと昔前でしたら「芸能人」「お笑い芸人」
「プロのスポーツ選手」などが、上位ですし
もちろん今も、人気で憧れられる職業と言えます。

単純に疑問に思いませんか?

「星の数ほど仕事が存在する中で
なぜ人気がある職業と、ない職業が生まれるのか」


「人気のある職業とない職業の違いは
いったい何なのか?」


ぼくも、もちろんすべての職業を経験したことは
ありませんが、大半の「仕事」は
「単純な作業の繰り返し」で構成されています。

突き詰めれば、どの「仕事」だって
「人間が作業として実施すること」の差に
そこまで違いはないはずなんです。

なのに「人気、不人気」の差は
どこで、何が理由で発生するのか。


ぼくは「その職業で、仕事を魅力的に伝える
象徴のような存在がいるかどうか」
だと
考えるようになりました。

【魅力の伝え方】

ぼくは、介護職をしています。
あなたは「仕事の介護」
どのようなイメージを持たれていますか?

ブログのネタ探しのため、SNSなどで
「介護」で検索をしますけれど

なんというか、介護の仕事の内容を
楽しそうに書いていたり、伝えていたり
されている方って、少ない・・というか

ほとんどいらっしゃらないような
印象を受けます。
(ぼくが探し切れていないだけかも)

介護職の方のつぶやきって、おおまかに
2つに分かれている印象です。

①仕事の愚痴、不満をつぶやく方

②いかに「やりがい」のある
仕事なのかをつぶやく方


①の方は、例えば
「今日、利用者様に〇〇みたいな暴言を吐かれた」

「ほんと最悪。〇〇(職員さん)がミスしてくれた
お陰でサビ残(サービス残業)だわ」

「この施設終わってるわww
今月だけで〇人辞めたww」


みたいな、ネガティブな発信をされている方。

そして②は、例えば

「介護はお金じゃない!人のためになる
崇高な仕事なんです」


「今日も一日、利用者様から感謝の言葉をもらえて
本当に充実していた。介護ってホント
やりがいがあって楽しい♪」

のような感じです。

どのつぶやきの方も、その方なりの事情や
価値観があり、否定をしたいわけではない事を
前提に、書かせて頂きたいのですが

仕事はなにをしても、不満は生まれますし
愚痴を言いたい時もあります。

そして、楽しく感じる瞬間も、報われたような感動を
覚える瞬間も、継続していく中で、必ずあります。

テレビなどで介護職の特集をされる時
必ずと言っていいほど飛び出すワードに
「やりがい」があります。

以前、介護施設での画期的なケアの取材をされていた
中での、職員さんへのインタビューの中で
その職員さんが

「確かに給与は低いかも知れないが
やりがいを感じる仕事だ」
みたいな
締め方をされていました。

個人的には、すこし悲しくなりました。

だって、見る人がみれば
「やりがいがあっても、給与は低い仕事なのか」
って、思われてしまいかねません。

人が仕事をしなければならない理由は
「やりがい」ではなく「お金」です。

「やりがい」「価値観」ですが
「お金」「価値」です。

仕事の介護は「やりがい」をやたらと
強調される印象を、自分は持っていますが

翻せば「給与の面」
では魅力が薄いんだろうなと
見る人には、思われるような気がしています。

「やりがい推し」は、伝え方としては
適切ではないのかな?と勝手に悩んでいます。

結局は
「仕事のどこを、切り取って伝えるか」
重要なのかなとも思っています。

【すべらない話】

お笑い番組の「すべらない話」って
ご存知ですか?

ダウンタウンの松本さんを中心に
人気のお笑い芸人の皆さんが集まって

自分が思う「鉄板の面白い話」
披露してゆく、という番組なのですが

例えば、あの番組で披露されたお話の中で
千原ジュニアさんの「タートルトーク」があります。

東京ディズニーシーに行かれた
ジュニアさん達が、アトラクションのひとつ
「ウミガメのクラッシュ」の中で
体験された出来事を、お話しているのですが

仮にぼくが、ジュニアさんと全く同じ体験をしたとして
それを誰かに「面白い話」として披露しても
「確実にウケない」と断言出来ます。

ぼくとジュニアさんでは
「体験した出来事のどこをピックして
どこが必要ないか、どこを膨らませるか」

の技術、知識、感覚、経験に
天地の差があるからです。

芸人さんの話が面白く感じるのは
「芸人さんの毎日が特別だから」ではありません


芸人さんは「面白いとはなにか」を常に考えていて
起こる出来事すべてにアンテナを立てています。

だから、人と同じ出来事を経験しても
「聞く人が魅力を感じやすいような伝え方」
自然と、出来るようになるのだと考えます。

「芸人」という職業が、ずっと人気なのは
メディアに露出した時、圧倒的な話術で
役割を十二分に全うしているから
なのだろうなと思います。

今年、残念ながら解散されましたが
「ザブングル」というお笑い芸人が、以前
闇営業問題のゴタゴタで謹慎されていた時期に
介護施設でボランティア活動をされていました。


この記事、好きです。

介護を不祥事の禊に使うなとか
否定的な見解の方もいらっしゃいます。

ただ、自分の考えとしては、こんな風に
有名で、発信力のある方が
どんどん仕事の介護を経験して
実際を伝えてもらった方が

ネガティブなイメージが先行しやすい
仕事には、実際を正しく伝えるという意味で
結果的にプラスになるのではないかな

考えています。

人気の職業には
「自分の職業を魅力的に伝えることの出来る人」
確実に存在しています。

それは、その方にとって「意識しての行動」では
ないのかも知れませんが「人気の職業」には
「象徴」のような存在が、確実にいます。

ネガティブなイメージが先行しやすい仕事には
芸人でいう「ダウンタウン」のような存在が
必要なのかも知れませんね。

【介護職、実際は?】

「イメージの上げ方」は、なんとなく
目途はつきましたが「実際はどうなの?」
というところですよね。

「介護職、未経験の方が仕事を始めて
果たしてどうなのか?」
ですが

ぼくの印象を正直に書きますと
「仕事量に対しての金銭的な対価は
まだまだ低いと言わざるを得ない」
ですが

「お客様からの感謝がダイレクトに伝わるので
その部分は、直接消費者と関われない製造業などと
比較すると、意欲に変わりやすい」

「トライ&エラーの繰り返しに
自分なりの意味、意義を見出せるかが重要」

といったところでしょうか。

さらに個人的な感想を書かせてもらえれば
「継続していければ、相手が何を求めているのかを
自然と考えられるようになる」
という
メリットがあります。

介護も、お店の店員さんも、同じ接客業ですが
一人のお客様と関わる密度や時間が
圧倒的に深く、長いのが介護の特徴です。

※優劣の話ではありません。念のため・・。

仮にお店で、一人のお客様にNGを出されても
影響はそこまでないのかも知れませんが

一人のお客様に対してのコストをかける介護では
その影響は比較して、大きなものだといえます。

自分は店舗接客も、アルバイトで経験しましたが
とても難しくて、叱責されてばかりでした。
ただその経験は、介護の接客で活きています。

例えば、ぼくが実際に介護現場で経験した事を
「ネガティブ寄り」に切り取らせてもらいますと

・レビー小体型認知症の利用者様に、
泥棒と勘違いされ首を絞められました・・。

・更衣介助中に、肩を思いっきり噛まれました。
出血して、痣が残りました・・。

・夜間、不眠で立腹されている利用者様に
いきなりビンタされ「ひとごろし!」と叫ばれました。

現場が長いので、こういう体験も、少しはしています。

未経験の方が、そこだけ伝えられたら
「なんて怖い世界なんだ、介護って・・」
捉えられても、不思議ではありませんよね💦

でも実際は、続きがあるんです。

・レビー小体型認知症の利用者様には、後で
「本当に、申し訳ないことをした」と謝られました。

ぼくは「あなたの人柄は、分かっているつもりですので
どうか、お気になさらないで下さい」と伝えました。

その方は、自分がした行動をとても悔いておられ
苦しみが伝わる分、その事の方が辛かったです。

・肩を噛まれた時は、確かに痛みはありましたが
制服の上からですし、出血も微々たるものでした。
痣もすぐ治りました笑

自分の技術が未熟で、相手に抵抗感を
与えてしまった事で起こった出来事だと
認識しています。

・そしてビンタの件も、夜間せん妄の症状が
見受けられる方に、不用意に声掛けを
した事が、起因となります。
(ぼくが戦時中の兵隊に見えたようです)


物事は「一面的」に捉えると、どうしても
「極端」に寄りますが、本来すべては「多面的」です。

認知症の方の周辺症状も、その方の「生活歴」
「嗜好」を知り、行動を見極めた上で
「人としての礼節、接遇」を心がければ

「本来、その方が積み上げてこられた人格」
次第に顔を覗かせるようになります。

そうなればもう、後は「どうすれば、この環境を
心地良いと思って下さるのか」
に注力すれば
良いだけかなと思います。

ただ、これで終わると「キレイゴト」
なるので、さらに伝えます。

ネットの書き込みでよくある
「現場の対応次第で、周辺症状は治まる」というのは
半分まゆつばだと思っています💦

職員さんが、どれほど完璧に対応しても
礼節を尽くし、接遇を心掛けたとしても
周辺症状が治まらない方も、いらっしゃいます。

だって職員さんも、利用者様も「人間」ですもの。

なぜか認知症の周辺症状の対応の時だけ
職員さんを万能戦士のように扱うんですよね💦

虐待や、暴力は許されませんが
手を上げたくなる気持ちは、とてもよく分かります。

あと、お薬を服薬させることを極端に嫌う現場や
管理職さんも、たまにいらっしゃいます。

メマリーやドネペジルなどの認知症のお薬が
処方された時、過剰な意見を他職種の方にぶつけて
連携を乱してしまったり。

価値観は人それぞれなので、難しいですね。

個人的には「環境」で認知症は大部分
マシになりますが、そうならない方も
いらっしゃいます。

そんな時「お薬」という選択肢を試してみても
いいんじゃないかなと、考えます。
そのために「お薬」は存在するのですから。

解決の手段を、特定の何かに盲信したりせず
知識をつけて、「自分がどうか」ではなく
「相手がどうか」を主体に考えたい
ものですね。

【まとめ】

今回は「楽しい仕事ってあるのかな?」
という内容で、書かせて頂きました。

冒頭に書かせて頂いた結論の通り
「楽しい仕事なんてなく、その仕事に
携わる方の伝え方で、イメージの大半は決まる」

ということだと、今は考えています。

「仕事」は日々楽しい事、辛い事、両方ありますが
折角自分で選んだのですから

「自分の仕事を誰かに魅力的に伝えたい」
思って欲しくて、書きました。

余計なお世話ですね、すみません。

対外的にどうか、だけではなく
「楽しくない仕事を、どうすれば楽しめるのか」
という考え方も、大事なのかなと思います。

ほんと、話術スキルが高い人は憧れます。

ことばでした。
読んで下さって、ありがとうございました。

こうしんことは2
こんにちは、ことばです( *´艸`)

今回のテーマは
「このブログのPVとUUをお伝えします」という
内容です。

このテーマを書く理由は
ゼロビジブログのコンセプトの一つである
「アフィリエイトの知識、能力のない人間でも
0からブログを始めて、稼げるようになるのか」


ありのまま、お伝えしようと考えているためです。

同じようにブログや、自分の力で稼ごうと
考えておられる方の
清涼剤にでもなればいいなと
思っています(*´ω`)



 

【以前の更新報告の記事】

「第1回ブログの今を、ご報告するの巻」

「第2回ブログの今を、ご報告するの巻」

「第3回ブログの今を、ご報告するの巻」

「第4回ブログの今を、ご報告するの巻」


【期間が空きまくっている言い訳】

ことばの0からのビジネス~ゼロビジブログ~は
2019年8月2日から書き始めて
今回の記事で70記事です。


「毎月更新報告をします」などと
書いていたのに、全然出来ていなくて
お恥ずかしい限りです。

週に一回の更新もろくに出来ていないですし・・。
すみません💦

毎回、更新報告が言い訳の場になりつつあって
悲しいですが、ブログの更新が滞っていた理由は

がっつり心が折れていたことと、もうひとつ。
職場でPCR検査陽性の方の対応に追われていた
ことです。

幸い、大事には至らずに施設内では終息しました。

自分が働いている職場は介護施設ですので
この時期、お一人でも発熱が認められると
心穏やかではいられないんです。

でも、正直どんな事情があろうと
言い訳になりますね。


やると宣言した事が出来てない以上
すでに信頼は、損なわれています。

では2020年7月度から、2021年3月度までの
記録していた範囲でのPV、UUの報告です( *´艸`)

【PVとUUのご説明】

「PV」(ページビュー)とは
このブログが何回開かれたか数値です。

ぼくがブログを開いても、あなたがブログを
開いて下さっても「1」カウントされ、
更新する(ページ移動する)たびに増えます。

「UU」(ユニークユーザー)とは
このブログに訪問して下さったの数値です。

ぼくが訪問しても、あなたが訪問して下さっても
「1」カウントされます。

日付が更新されるまでは、同じ方が
何度ページ更新しても
こちらのカウント(UU)は増えません。

それでは、この記事を書いている
段階の数値をご報告します('◇')

現在の総PV数が2600(推定)
現在の総UU数が2140

となっております。

データを記録していた
直近の数か月ですと・・
2020年12月は  PV209、UU177
2021年1月は、PV259、UU197
2021年2月は、PV328、UU217
2021年3月は、PV328、UU269
2021年4月は、PV250、UU215(20日まで)

となっております。

2020年7月から、2020年11月の期間は
心が折れていたので、データを取れていません。
すみません💦

前回の報告は、昨年の6月にしました。
その時のUUの総数が574でしたので

着実に伸びている・・?
のでしょうか(;^ω^)
まだ1円も稼げていません。

まあ、広告を貼っていないので
当たり前なのですが。


もう、自分が何をしたいのか
よくわかりませんっ(*ノωノ)
 

【よく検索されている記事】

次は、今後のためにSEOの観点からみて
このブログで、どんな記事が
よく検索されているか
、紹介させて
頂きますね。

2021年3月の記事毎のPVはこんな感じでした。
右側の数字がPVです。
(アクセス解析のページをコピペしました)

1.2019-10-26「みんな言ってるよ」という言葉の恐ろしさ。148
2.2020-06-03「誹謗」と「中傷」と「悪口」と「事実」~思うだけでいいこと~28
3.2019-09-18弟子が、師匠から離れるとき【守破離】10
4.2019-09-28目的達成のため、手段は問わない~マキャベリズム~7
5.2019-08-28「無駄な努力、ご苦労様」だと・・!7
6.2019-09-10「ポジショントーク」と「詐欺」のおはなし。6
7.2019-08-17ゆうしゃさんは、ほんとうにゆうしゃだった。5
8.2020-06-14「ナメられたくないっ!」~マウントを取ってくる人へ贈ることば~5
9.2020-06-08「そんなつもりじゃない」なんて、言わないよ絶対。4
10.2021-04-11「怒るな、さらば与えられん」~怒らない考え方~3
11.2021-04-14「がんばらなくてもいい」けれど。3
12.2019-09-12「鏡のように跳ね返る」「好き嫌い」【返報性の原理】2
13.2019-08-29「まじめにがんばる」ほど「損」をする?1
14.2019-09-05「リーダー」が抱える「苦しみ」って?1
15.2019-09-20「働かなくてもいい」ことの難しさ【セミリタイア】1
16.2020-05-27「すれ違わない心」を目指す~折り合いのつけかた~1

 ・・これ、そのまま貼っても大丈夫ですよね?💦
なにか問題あれば教えて下さい、削除します。


1位の記事は、去年の4月くらいから
特定の言葉で検索すると、常に上位表示されています。

独自ドメインに切り替えて、数カ月間は
落ちましたが、3~4カ月後くらいすると
また上位表示されるようになりました。

やっぱり、いかに多くの人の目に触れるかが
大事なので、SEOをもっと勉強しないと
いけないのですが、難しい・・。
本当によく分からない・・。

【今後の展望】

とにかく記事を書かないと始まりませんので
更新はなんとか重ねたいと思っています。

死ぬまでに1000記事の目標は
変わっていませんっ


記事の質は落としたくないですが
文字数を増やす=記事の質を高めるということ
ではありませんよね。

自分は長文を書いてしまう癖があるので
客観的に考える余裕と視野を獲得しないと
いけませんね。

ほんと、こんなよく分からないブログに
少しでも目を通して、頂いてありがとうございます。

コメントも、お気軽にして頂ければ嬉しいです。

読んで下さって、ありがとうございました。

ぬけたことは
こんにちは、ことばです( *´艸`)

今回のテーマは
「がんばらなくてもいいけれど・・」です。

あなたは「がんばれ」って
言ったり、言われたりしたことありますか?

がんばっている人、無理しているなと感じる人に
清涼剤的に、かけてあげたくなる言葉かもしれません。

ただ、この言葉、個人的には使うとき
または使われるとき
ちょっと気を付けないといけないかも?
感じています。

その辺の機微も含めたお話ができたらいいなと思います。
よろしくお願いします。




【「がんばれ」は重い言葉?】


「がんばれ!あなたならできる!」
「ここまでやってきたんだろう?もっとがんばれよ」
「お仕事がんばってね!」


自分が相手に期待しているときや
元気を出してもらうために
「がんばれ」と、人は伝えます。

この「がんばれ」という言葉を、例えば
「落ち込んでいる状態の人に対して、使用しない方がよい」
みたいな暗黙のマナー、ご存じですか?

自分は、テレビとかの情報を見聞きして
なんとなくですが、伝わっています。

「そうなんだ~」程度の知識と認識ですが
それ以降は、誰かに個人的なメールをする時は
なんとなく「がんばって」という文言は使用していません。

ぼくは根は暗いですが、相手とやり取りする時は
お互いに気持ち良くやりとり出来ればいいなと
思っていますし

文面だけでは、相手の状態を推し量るのが
難しい事もありますので

「がんばれ」という文言の代わりとして
「無視しないで下さいね」みたいな言葉を
使用するようになりました。

「がんばれ」という言葉、人に寄っては
とても重く捉えられます。


自分はただ励ましているだけのつもりでも
相手にはプレッシャーにしか感じてもらえなかったり
「もう十分がんばっているのに
まだがんばらないといけないの?」
みたいに

言葉をプラスに考えられない時
「がんばれ」がその代名詞のように
なってしまいます。


あなたも、きっと同じような経験をされていると
思います。誰かに「がんばれ」と
言ったり言われたりする中で

自分の意図が上手く伝わらないモヤモヤした葛藤を
抱えておられるのではないでしょうか。

どんな言葉も「重く捉える」のは相手であり
自分との関係性、立場、信頼で変化するものです。

「相手を励ますことも出来ないのかよ」と
憤るよりも、個人的には

自分が相手と良好な関係を築けていれば
たとえ自分が「がんばれ」と言ったとしても
相手は適切に、受け止めてくれるように思いますし

関係性が出来ていれば、相手は自分の言葉の意味を
汲み取ろうとしてくれるので
お互いに誤解で嫌な思いをする状況も
減るのかも知れませんね。

【捉え方の温度と感覚】

人は、言葉を様々な要素と絡めて捉えます。

京都のぶぶ漬けや
月が綺麗ですねの意味など
皮肉や照れ隠し、裏腹な感情からか

ひとつの言葉に沢山の要素、意味を
隠したり、持たせたりするのが
日本人の奥ゆかしさ、日本語の楽しさの
一つでもあるのですが

昨今のメディアに代表されるような
自分が子供の頃と比べての
やや過剰とも思えるような表現の規制は

SNSの普及によって発信する力を得た人々が
苦情、クレームをスポンサーの企業に
なりふり構わずにされるようになった事も
無関係ではないかなと思います。

ネットの普及する以前から
電話などでクレームを
入れていた視聴者さんはいらしたようですが

SNSは「個」ではなく「群」なので
そういった時代の波が、急速に
現代の価値観として、形作られたのでしょうね。

人が人に優しい世界は大好きですし
その形に近づいている過程なのであれば
受け入れるべきことなのですが

いま、この世界に生きて実感している感覚は
その理想に近づいているとは
感じがたいものではあります・・。

【言葉の限界】

ぼくは、介護の施設で働いています。

チームで認知症の施設利用者様の
お世話をする仕事なのですが

身体介助という業務がありまして
例えば、おひとりでは排泄が困難な方の
サポートとして、車椅子で
お手洗いまでお連れして

ご自分で立位(立った状態のままの姿勢)
が取れない方に、体を抱えて支え
便座に移って頂くという動作のサポートを
しています。

排泄介助は1日に複数回、実施します。
トイレが1日1回で済む方はいないので
当然ですよね。

例えば、利用者様が大柄な男性の場合
女性の職員さんだと、何度も業務をこなすのが
肉体的に、大変な作業であるのは
お分かりになるかと思います。

自分は管理者をさせてもらっているので
職員さんの業務の相談などを
よく受けるのですが

「管理者、私では〇〇さんの介助は無理です!」
「なんとかして下さい!」


のような相談を受ける場合もあります。

あなたなら、こういう時に
なんと返答しますか?

こういう相談、割りと日常茶飯事なのですが
返答はとても難しいんです💦

例えばぼくが
「いや、仕事なんですから
やってもらわないと困るんです」
とか

「ぼくは出来ますよ?
〇〇さんが出来ないのは、単純に
技術や努力が足りないんじゃないですか?」


みたいな言葉をかけたら、どうなると
思われますか?

多分、ひと昔前でしたら
こういう返答でも、さして問題に
ならなかったと思うんです。

今、こんなことを職員さんに
言おうものなら
「管理者にこんなひどい事を言われた!」
他の職員さんに言いふらされますし

その程度ならまだいいのですが
話を膨らませて本社や外部に
相談される
可能性がとても高いです。

現代の風潮は、被害者の被害者意識を
より増大させて、加害者を追い詰めてしまう

構造を孕んでいるように感じています。

物事の大小はあまり重視されずに
構図だけを見て、加害の側をより批判する
体制といいますか・・。

すみません、いつも話が長くて💦
僕は職員さんの相談に対しては

まず「この人が何を問題にしているのか」
「根本を探り、解決できるかどうか」
意識するようにしています。

「介助が無理!」と仰る職員さんには
「そうなんですか、確かに〇〇さんの介助は
大変ですよね。他の職員さんも大変だと
言っていました」


みたいに、初手で想いに「共感」します。
この時点でトーンダウンされる方も
いらっしゃいます。
ここで「相談」か「愚痴」かを見極めます。

愚痴でしたら、一通り想いを聞かせて頂いたら
「聞いてくれて、ありがとうございます」と
スッキリして、また仕事をして下さいます。

男性の自分からしたら「聞くだけでいいの?」と
拍子抜けする事もありますが
そこは男女の違いなのかも知れません( *´艸`)

相談の場合は、職員さんが感じている
「問題はどこか」を質問しながら考えます。

無理だと思う理由は
「利用者様との体格差?」
「認知症の方とのコミュニケーション?」
「自分の体調?腰を痛めているの?」など

仕事でしている事を「無理」と
ひと言で片づけられると、
自分の本心としては「ん?」と
構えてしまうところがあるのですが

言葉に惑わされず、分解して
問題を突き詰めるように、心掛けています。

それでですね、ごめんなさい💦
ここからが本題なのですが

「がんばらなくても大丈夫ですよ」という
言葉を、職員さんにかけさせて
頂いた事があるんです。

それは、相談された中で
「私はこんなに仕事をがんばっている」的な
ことを言われた時、少し肩の力を抜いてもらおうと
意図を込めて言ったつもりなのですが

その職員さんが言葉を割と額面通りに
受け取ってしまったみたいで

苦手な利用者様の業務を避けたりなど
怠慢ではないのですが、自分のやりやすいように
仕事をするようになってしまいました。

「がんばれ」と「がんばらなくてもいい」は
言葉の意味的には真逆なのに
相手に誤解を生んでしまいやすい言葉なのですね。


配慮が足らなかったなと反省しました。

【弱さを自覚するという強さ】

他人に「がんばれ」と言われても
がんばる必要はありませんし
他人の「がんばれ」には、深い意味は
ありません。

それと同様に「がんばらなくてもいい」を
受け入れすぎる事も、少し難点なのかなと思います。

恐らく「がんばれ」を重く感じる方は
「がんばらなくてもいい」を必要以上に
受け入れてしまいがち
かと考えます。

これは介護の仕事の話ですが
がんばらない職員さんが、
手のかかる利用者様の介助を
避け続けたら、どうなると思いますか?

がんばらない職員さんの仕事のカバーは
他の職員さんがします。
「がんばらない人」が多ければ多いほど
他の人を「がんばらせてしまう」
んです。

この状態は職場で色々な問題を生んでしまいます。
「なんでこの職員さんは
〇〇さんの介助に入らないの?」
「なんで私ばかり、この人の介助をさせるの?」

とか。

信頼関係が崩れると、施設全体でケアの質が
下がりますし、結果的にがんばらない人も
損をしてしまうと思います。

問題は、問題に感じる人がいて
初めて問題になります。


行動の責任は最終的に自分がとるしか
ありませんので
人がかけて下さる言葉に
必要以上に重きを置かない
ようにしたいですね。

個人的な経験から書かせて頂くと
他人に自分の弱さを吐き出すことは

「信頼」と引き換えにしているなと
考えています。

人と仲良くなると
個人的な悩みや愚痴を聞いてもらったり
すると思いますが

その頻度が多くなったり
あまりにも一方的になると

次第に、友達から連絡がなくなったり
距離を置かれたりしませんか?

あれは、今まで築いてきた「信頼の貯金」を
自分の「愚痴」や「悩み」を聞いてもらう
対価として、支払っているもので

弱さを自覚して、自分の中である程度消化しないと
次第に、それを発揮出来る状況や場所が
狭まっていくのではないかな
と考えています。

「弱い自分を認める」ということは
そのまま「強さ」に繋がるということ
なのかも知れませんね。

【まとめ】

今回は「別にがんばらなくてもいいけれど
それは、がんばる他人あっての考え方かも」


という内容で、書かせて頂きました。

現代はSNSの普及により、
誰でも気軽に発信できる
世の中になった功罪として

被害者の被害者意識は増大し
加害者に対しての排斥は日を追うごとに
高まるような風潮です。

優しい世界の過程の中での
現在の状態であれと願うのですが
あまりそういう印象は感じ取れない中

「がんばれ」「がんばらなくてもいい」
それぞれの他人からの言葉を

あまり重く受け止めすぎないように
過ごしていきたいものですね。

自分の人生の責任は、自分しかとれません。

「あの時、あいつががんばれなんて
言わなければ・・!!」
なんて
今際の際に思う人生、やりきれないです。

「がんばらなくてもいい」
この言葉は、とても優しいものですが

「もうがんばらない」と決めた
自分を支えるのは
「いまもがんばっている」
他の誰かの存在なのかも知れません。


他人に優しく、甘く接するだけで
生きていけたら、本当に楽で
幸せなんですけどね( *´艸`)

あなたも、無理なさらないで下さいね。

以上、ことばという他人のことばでしたっ
読んでくださってありがとうございました。


おこりことは
こんにちは、ことばです( *´艸`)

更新がとっても滞ってしまってごめんなさい💦
世の中のエンタメに時間を奪われ続けていました。

エンタメのせいではなく、自分のせいです。

今回のテーマですが
「どういう考え方をすれば、職場で他人に怒らずに
色々と、対応する事が出来るか」
です。

お仕事をされている皆様におかれましては
日々、職場でのストレスと向き合い、それでも果敢に
対処をされ続けておられるのではないかなと思います。

本当に、素晴らしいです(*´v`)

でも、例えば自分が上司で
指示をした動きを職員さんがしてくれない時や
頼んでいた仕事の進捗の報告が特にない時

「どうなっているんだ?」
みたいに、なんだかイライラしてきますよね。

そんな時、そのまま感情的に相手に気持ちを
ぶつけてしまうと、今の世の中
「あの上司にパワハラされた・・」

自分に全くそんなつもりがなくても
SNSに書かれたり、自分よりさらに上の役職に訴えられたり
とにかく大きな問題になる事が多いです。

もういちど書きますが
「自分に全くそんなつもりがなくても」です。

職場で感情的になる事はリスクでしかない
昨今ですが、自分の性格、考え方はそうそう
変えられません。

それが分かっていたとしても
このリスク管理は早めにしておいた方が
絶対に良いです( ;∀;)

多分この風潮は長く続きますし
今後もますます増大すると思います。

自分は介護施設で働いていますが
利用者様と接する時「態度や声掛け」
気を配っています。

それと同等、いえそれ以上に
「職員さんと接する時の、自分自身の態度や声掛け」
にも、気を配るべきだなと思っています。

詳細は書けませんが
自分も、最近大きな失敗をしたばかりです💦

この失敗談は、またどこかのタイミングで
ブログで書かせて頂く予定です。

それでは、ことばが考える仕事での怒りの対策や
考え方を、文章にさせて頂きますね。


【怒りの原因と対策】

仕事で人が怒りを感じる原因は
大まかに二つあります。

①(自分は)聞いていなかった

②相手の仕事の考え方、価値観が理解出来ない


それぞれ、細かく掘り下げていきますね。

①自分は聞いていなかったについてですが
例えば、自分の知らないところで勝手に物事が決まったり
変更されたりすることについて

「自分は聞いてない!」
「勝手に変更して、どういうつもりだ!」

感情的になってしまう方がおられます。

役職を持たれている方や、職場で年数が経過する程
自分は知らされていない事に関して
プライドが刺激されるため、怒りに転化してしまいやすい
ように思います。

それは責任感の表れであり、当然の事なのですが
感情的にならないようにする考え方って、あるのでしょうか?

個人的には
「なぜ自分を抜いて勝手に進めたんだ!」と
他人を主体に考えるよりも

「なぜ自分には物事が知らされなかったのか」と
自分を主体にして考えた方が
怒りには結び付きづらいのかなと思います。


自分に物事が知らされなかった理由として

「自分は普段どういう態度で人と接しているのか」

「その物事に、自分はどの程度影響していたのか」

「発信者と、適切に信頼関係が築けていたのか」を


自分で客観的に評価して、それでも
自分が知らないのは業務上適切ではなかったと
考えて、初めて指摘をするべきかなと思います。

会社は、組織で共通の目的を達成するための集団ですので
個人がすべての流れを把握する事は不可能です。

「自分が知らなくても、滞りなく物事が進み
終わるのであればそれで良い」
と考える事が出来たのなら
無用に感情を動かさなくて、よくなりますよね。

また自分が「相談しづらい人」になっていないかは
意識しておいた方がいいかなと
思います。

部下は、上司の行動をよく見ています。

表情、姿勢、仕草、言葉の数、選択、抑揚などが
複雑に絡んで、相手の印象として
「話かけやすい、話しかけにくい」雰囲気を形作ります。

「仕事なんだから、そんなの関係なく報告してよ」
思われますよね?

難しい事に、それが通用しなくなってきているのが
今の時代の流れなのかも知れません💦

「自分は聞いていないぞ!」と憤る前に
「自分が相手にどういった情報を与えているか」は
振りかえってみても、損はしないかなと考えています。



②の相手の考え方が理解出来ないについてですが
人は「自分が理解出来ないもの」に出会うと
「怒り」を感じてしまいやすいです。

これは、状態としては
「理解出来ない=その物事に対しての知識不足」
という事だと考えています。

例えば指導の時、何回言っても同じミスをする新人さんに
「何回言えば分かるんだ!」と感情的になってしまう場合。

どちらに非があるかという問題はさておき
「なぜ怒りを感じたか」の理由として
「なんで同じミスをするのか、理解出来ない」という
感じ方をされるかと思います。

ですが「何回も指摘している」事実は
自分にも当てはまる事です。

指摘する時に
「前も同じことを言ったよね?」とか
「これ〇回目なんだけど」みたいな言葉を
使った経験は、ありませんか?僕はあります。

こういう言葉は往々にして、相手を焦らせて
プレッシャーを与えます。

仕事でプレッシャーを与えられると思考能力が
極端に低下して、何も考えられなくなる方もおられます。

指導する側は「何度も機会があった」のであれば
その新人さんの「情報」も得ているはずです。

その情報が「知識」です。

新人さんの性格や考え方は、指導の中で知識として
何も知らなかった時よりも高まります。

それを「どうやって指導するべきか」の「対策」に
変えて、活かすようにすれば良いのかなと思います。


例えば「このミスは、仕事の優先順位が分からない
せいで発生したのかも。まずは優先順位を徹底して
覚えてもらうべきかな」
とか

「時間にルーズな面があるから、仕事における
時間の重要さをまずは教えるべきかな」
のように

新人さんの事が何もわからなかった時よりも
情報として得た新人さんの性格や性質を知識として得た
段階の方が、相手への「理解出来ない」が薄まっているため

怒りを感じる要素も薄まるのかなと考えます。

指導で重要なのは「回数」ではなく「質」です。

相手が仕事が出来る、出来ないよりも
自分が相手に対して効果的な指導が出来ているかを
基準にしていけたら良いですね。


【いま、気を付けるべきこと】

自分から他人に向けての行動や言動には
とても鈍感なのが、人間という生き物です。


「そんなつもりはなかった」という言葉を
加害の立場になってしまった方は、使う印象があります。

あれは本当にそう思っていたのだと感じます。

自分の「そんなつもりはない」は自分では許すのに
相手の「そんなつもりはない」は許さないのも
「自分が他人に与える影響に鈍感」だからです。


介護施設でたびたび報道される
施設利用者様への虐待も、同じ理由です。

時に苛烈な、相手の周辺症状に対して
鈍感な自分が、相手への影響を考えずに対応すれば
「虐待」と判断されてしまうケースは高まります。

昨今、議論が絶えない「〇〇ハラスメント」の問題も
「そんなつもりがない」自分が起こした言動、行動を
相手が許さなかったからこそ、表面化しています。

相手ではなく、自分の言動、行動にこそ
細心の注意を向けないと、とにかくリスクだけが
高まるのが、今の時代です。

そのリスクへの対処法というか
考え方ってあるのでしょうか?

ことばが考える4つの「リスクへの対策」
お伝えさせて頂きますね。

【リスクへの対処法】

加害の立場になってしまうリスクは
社会に関わる皆様は、誰しもが抱えるものです。

そのリスクを少しでも減らすための「考え方」を
まとめました。以下の4つです。

①知識をつける
②他人の課題にまで踏み込まない
③「正論」と「自分が正論を言う正しさ」は別
④自分の影響力を正しく把握する


それぞれ、細かく掘り下げていきますね。

①知識をつける
先述させて頂いたように「人への怒り」の理由の大半は
「自分の知識不足で、その物事の解決法が分からない」
というものです。

例えば、自分が新しい仕事を任された時に
特に引継ぎをされずに前任者が退職されたとします。

「あの人、何も教えてくれなかった!」
その前任者に対して怒りを覚えますよね。

ですが、予め仕事の段取りや、何をすればよいのかを
把握した状態であれば、その怒りは和らぐと思います。

「あの人、何も教えてくれなかったけど
大体分かるからいいか」

くらいの温度感に、落ち着くのではないでしょうか。

前任者の行動は変わらないのに
自分の感情は変化していますね。

この理由は「自分に対応出来る知識があるかどうか」です。

翻して考えれば「知識をつければ、他人に怒りを抱く可能性を
減らす事ができる」ということです。


②の他人の課題にまで踏み込まないですが

それでも、責任感の強い方であれば
「前任者がちゃんと引継ぎをしないのは、仕事として
間違っているのではないか」

「引継ぎをしてくれていれば、もっと理解が出来たのに!」

みたいな理由で、怒りを感じてしまう方も
少なくないと思います。

心情はとても理解出来るつもりですが
考え方として、この怒りは
「あなたが感じる必要のないもの」です。

細かく書きますと、この前任者は
この時だけではなく、常にこういう仕事を
されていると、推測が出来ます。

相手に必要な情報を与えないとか
説明を面倒くさがるとか
伝達の意識がそもそも薄いとか・・。

責任感の強い方は、こういう仕事の価値観の人と
ウマが合わない事が多いと思います。

ですがこれは「前任者の課題」であり
「あなたの課題」ではありません。


今後、前任者も他の職場で同様の仕事の仕方をされると
思いますが、こういう仕事を続けて、一番リスクがあるのは
結局この方、ご自身です。

あなたが感情的に、前任者に指摘をして
「パワハラだ!」なんて言われた日には
何がしたかったのか、分からなくなりますよね💦

自分の課題と他人の課題は
切り分けて考えたいものですね。


③「正論」と「自分が正論を言う事の正しさ」は別物
これは、過去にこのブログでも書かせて頂きましたが

「正論」には、罠が潜んでいます。
それは「正論なんだから絶対にこちらの言い分が正しい」と
錯覚してしまいやすいということです。


自分が正しいという想いが強ければ強いほど
感情が乗りやすいですし、理解してくれない相手に対して
強い口調になってしまいやすいです。

ですがたとえ正論だったとしても、相手に伝わらなければ
意味がありませんし、それこそこちらが感情的だったり
威圧的だったりすれば、相手には

「正論ばかり言う、嫌な人」
みたいに、マイナスな印象しか与える事が出来ません。

正論を言う時には
「いま、この場でこの正論を職員さんに伝える事は
行動として正しいのか」を考えて

伝える時の自分の言い方、口調、声量、態度などにも
気を回して欲しいなと思います。


④自分の影響力を、自分で把握するですが

あなたは会社の中で、どういった役割の方でしょうか?
基本的には役職が上がり、年数が経過するほど
その職場の中で、影響力は高まっていきます。

もちろん、どれほど役職があがろうが
勤続年数が経過しようが、人間的な価値は変わりません。

役職者は責任の重さと、会社に勤続された年数の信頼が
待遇に反映されているのですが、年功序列の考え方が
今もなお根強い日本では

役職を自分の価値そのものと錯覚した挙句
自分より下の人に対して、高圧的な言動、行動を
相手への敬意を払わずに使う方が、一部いらっしゃいます。

役職者や、立場が上の方が、自身の影響力を
正しく把握せずに使う言動ほど、誤解されやすいものはなく

それこそがリスクの温床だと感じています。

心理学で「自己覚知」という言葉があります。

意味としては「自分と対話し、自分の性質を
正しく把握する」
というものです。

傲慢にならずに卑下をせずに、正しくある事は
とても難しい事ですが、少しずつでも相手に与える
自分の影響は、どのくらいなのかを考える事が
出来れば、悲しい誤解は減らせるではないかなと思います。

【まとめ】


今回は「仕事で怒らないようにする考え方」みたいな
ことを、書かせて頂きました。

まとめますと、仕事で怒る原因は、主に
①自分は聞いていなかった
②相手の価値観が理解出来ない


の2つになるかなと思います。

そして、この現代のハラスメントへの対策として
加害の立場にならないように気を付けるための
考え方として

①知識をつける
②他人の課題に踏みこまない
③正論と、自分が正論を言う正しさは別
④自分の影響力を自分で把握する


以上の4点を意識するべきなのかなと
考えています。

現代は、お金を稼ぐ手段が増えましたね。

必ずしも会社に勤めて、年数をかけて信頼を得る事に
こだわらなくても、自分の能力を磨き、発信する事で
組織に所属せずとも、生きていくための金銭を得る事が
出来る時代です。

ですが、組織に所属するメリットはとても大きいものです。
だからこそ、今のうちに色々な知識や価値観に触れて
対応力を磨いていければいいなと思います。
(自分に言い聞かせています)

人は集団の中でこそ磨かれ、その経験で成長できます。

自分は聞いていなくても、相手の事が理解出来なくても
あなたがそれで感情的になる必要はないと思います。

あなたがそうであるように「人材」は会社にとって
かけがえのない「財産」です。


宝物同士で傷つけあうのではなく
相手をより輝かせるためには、どうしたら良いか
一緒に考えていけたらいいですね( *´艸`)


読んで下さって、ありがとうございました。

魔法使いことは
こんにちは、ことばです( *´艸`)

今回のテーマは
「福祉に携わるには、強い動機って必要なの?」
という内容です。

結論から書きますと
「人への興味が薄く、意思が弱くて、
他人への発信する力が弱い人でも、環境が成長を
促してくれるので、オススメ!」

というものです。

これから書くことは、経験から得た個人的な意見であり
特定の何かを否定したり、優劣をつけたいわけでは
ありません。

飽くまで「こういう考え方をしている介護職もいる」
というものです。

よろしくお願いいたします( *´艸`)


【福祉職のイメージ】

あなたが持つ、福祉関係のお仕事のイメージって
どういったものですか?

・人と関わるのが好き
・人のお世話をする事が好き
・優しい、献身的な性格、性質

自分が介護の仕事を長年させて頂いている中でも
「やっぱり福祉職に従事されている方は、優しい人が
多いんだろうなあ」
と、勝手に思っています。

逆に言うと「人と関わることが好きじゃないと
福祉の仕事って出来ないのかな?」
みたいに
二の足を踏んでおられるかたも
いらっしゃるかも知れません💦

かくいう自分はどうなのか?というと
「人と関わるのが好きではないし、
熱い想いも持ち合わせていない」

という、散々な自己評価です(;^ω^)ゴメンナサイ

というわけですので、福祉に興味があるけど
自分の性格的にどうなんだろう?
という方にむけて、
今回は書いてみたいと思います。

【優しいとは?】

勝手なイメージですが
「福祉に関わる人は、優しいんだろうな」
「人に興味があるんだろうな」という
考えがあります。

まず「優しい」という言葉の意味ですが
他人に対して思いやりがある。性質が素直で淑やか。
控えめ、慎ましやか、刺激が少ない
などです。

これだけだと、なんともいえない感じですが
個人差はあれど皆、他人に対しての
思いやりをお持ちでしょうし
上手く表現出来ないだけ、という方もいらっしゃいます。

昔ながらの職人気質の方とか「男は背中で語る」
みたいな方ですとか・・。

日本では詫び寂(わびさび)文化のような
「言葉を尽くすこと=無粋」みたいな考え方って
根強いものですし、自分もそういった価値観が
体現できない分、憧れる面はあります。

でもお仕事だと、利用者様に「こちらが何を考えているか
くらい、言わずとも察してよ」
なんてケアは
通用しませんよね💦

だからこそ、言語や非言語を尽くして表現するわけですが
それを、ともすれば「優しい」と形容して下さる方も
いらっしゃいます。

相手がそう思って下さるのであれば、何を否定する事も
ありませんが、飽くまで自分は「仕事で関わっている」
というスタンスで、介護をさせて頂いていますし

これからも、そうでありたいと考えています。

色々な介護への考え方、向き合い方があるので
一概にどうという事ではないですし

実際に現場で、熱意を持って介護に携わっている方を
否定したいわけでは、もちろんありません。

わざわざ自分から「介護は仕事で関わっているだけです」
なんて発信をした事は、一度もありません。

ただ、これをご覧になられた方は
「仕事で関わっているだけって・・冷たすぎない?」
などと、思われるかも知れませんよね。

ここからは「なぜ自分がこういう考え方をするように
なったのか」
を、お話させて頂きますね(*‘v‘ *)

【仕事に対しての向き合い方】

まず、自分は確固たる「目的」があって介護士に
なったわけではありません。

目的とは「誰かの役に立ちたい!」とか
「新しい介護士の急先鋒になる!」とか
そういった「高い志」のことです。

では、何故介護士になったのかというと
「人に勧められて、なんとなく」です。

なんとなくで介護をする奴なんているのか?と
思われるかも知れません(;^ω^)

すみません、ぼくがそうでした。

当時アルバイトをしていた職場の直属の上司に
「お前は介護職に向いている」
言われたことがありました。

その方は、ぼくにとって職場の中で
一番怖い上司で、叱責されてばかりでしたし

一緒に働かせてもらっていた中で、その方に
仕事で褒められた事は、一度もありませんでした。

若干美談っぽく聞こえるかも知れませんが
全っ然そんな事はなく、当時は正直、なかなかに
精神的に追い詰められていました。

目をつけられて、毎日怒鳴られていた時は
帰ってから、お湯を張ってない浴槽の中で
裸で一時間体育座りしていたり
(何故かは覚えていません)

今日は何を言われるのだろう
また怒鳴られるのかな、失敗したらどうしようみたいな
ストレスで、吐き気が一日中収まらなかったり
(実際トイレで吐いていましたが)

仕事を辞めることだけを考えていたけれど

辞めたら食べていけないな、ぼくを雇ってくれる所なんて
もうないだろうし、実家に帰るしかないかな
でも帰っても親に迷惑をかけるな、だったらいっそ
自殺しようかな、みたいな

超がつくネガティブ思考で、本当に
「今日も一日、なんとか生き延びた・・」
みたいな感覚を持ちながらの日常生活でした。

そういうしんどい時期が一年くらい続いたのですが
怒られながらも、シフトを欠勤せずに埋めていたお陰で
(後で聞いたことですが)
「こいつは仕事は出来ないけど、根性だけはある」と
その一点だけを評価してくれたみたいで

「お前は介護に向いている」
という言葉は、そこからのものだったのかも
知れません。

で、その方が色々な理由で職場を離れた時に
「もうあの人に怒られなくてすむ!」と
僕は内心小躍りしていたのですが

「俺の知り合いの介護の会社の
面接を受けてみないか?」と勧められて

「分かりました」と返事をしたわけでした。

・・お分かりのように、介護に興味があったというよりも
今までの関係性もあり、お誘いを断れなかったんです。

こういった流れで、
介護の仕事を選択したわけですが、当初は
人の役に立ちたいとか、福祉の仕事が
したいといった、目的意識は特になかったです。

面接に合格して、実際に働くとなってから
色々と介護について調べたりはしましたが
インターネットの、介護士さんの書き込みに

「介護士に向いているかどうかは、何日も便が出ていない
利用者さんの排便が、たくさん出た時に喜べるかどうか」

みたいな事が書いてあって

「人の便を見て、自分は喜べるのかな・・」と、
調べるほどに、不安は増しました(;^ω^)

その時の同じアルバイトのスタッフさんにお話ししましたら
「介護士は、保育士と違って、成長に携わる仕事ではないし
衰退させないように関わって、終わりを見届ける
仕事だから、意欲を維持するのが難しいって聞くよ」
とか

「介護はしんどいぞ・・絶対続かないから
やめとけよ」
とか

「お前が半年、介護を続けられたらおごってやるわ」
みたいに、みなさん、肯定的に介護を・・というか
ぼくのことを捉えていない(ようにみせて、発破をかけて
くれていた)ように思います(;^ω^)

で、いざ実際に現場に入ってみたら
どうだったかというと・・

個人的には、アルバイトの店舗接客の方が
何倍もしんどかったです。


介護施設っていわゆる「3K」のような、労働環境の
良くないところだと、勝手に考えていました。

グループホームで、身体的に重度の方が
あまりいらっしゃらなかったのもありますが、
仕事中にイスに座って作業が出来る時間がある
衝撃でしたし、

「お年寄りの施設って、施設の雰囲気とかも
暗めなのかな・・」
みたいな失礼な事を
ぼんやり考えていましたが、利用者様、職員さんともに
すごく明るくて、前向きな方が多かったです。

認知症の周辺症状も、自分が聞きかじったものや
想像していたものよりも、随分マシに思えたので
「想像と全然違う!」とびっくりしました。

怖~い上司に正当な理由で叱責されていた頃と
比べたら、本っ当に楽だったんです。

自分が働かせて頂いた施設が、たまたま
自分に合っていただけかも知れませんが
その職場で年数を重ねる事が
出来て、良かったなと思っています。

特に印象に残っていることは
看取りを経験させてもらったことです。

看取りとは、施設で終末期を迎える選択をされた方に
介護士として、その方にとって適切なケアを
実施する事ですが

「人の生命活動が終わる瞬間」を実際に経験した時は
家に帰っても、しばらく気分が沈みました。

「もっと出来ることがあったかも」
「自分の対応は、これで本当に良かったのか」


など、考えても仕方のないことを考えたりもしました。

実際、看取りでショックを受けて、その後の勤務に
影響を受けた方も、何名かいらっしゃいました。

【燃え尽き症候群】

「燃え尽き症候群」という言葉があります。

強い責任感を持って仕事を実施していた人が
何らかの切っ掛けで意欲を失ったり、落ち込んだりする
症状を指します。

対人援助職の方が陥りやすい症状のようですが
自分は、それに近かったのかなと思います。

ぼくも、その時は辞めようかなとも思いました。
嫌とか、辛すぎて、というわけではなく
言い表せない空虚感というか、自然と考えていました。

でも、これで退職する事に何の意味があるのか
見出せなかったので、その時から、
少しずつ、介護に対する考え方を変えようと思いました。

以前は「介護士なんだから、人に対してもっと
興味を持たないといけない」
とか
「ボランティア精神が必要な仕事なんだ」とか
「想いが熱い人ほど、良い介護士になれる」とか。

勝手に自分で考えて、どれも自分にない要素で
劣等感を覚えていました。

ですが、年数を重ねるうちに、人に対しての想いが
熱い介護士さんほど、接遇を疎かにしたり
主体が介護士のように捉えられるようなケアをしたり


自分のケアに自信を持つがあまり、他の職員と
ケアの方法で揉めた結果、退職してしまったり・
という
状況を、頻繁に見るようになりました。

人が人を想う気持ちは、性格と同じで
多様な表現方法があるのに、それが自分と違うだけで
人と諍いを起こしたり、揉めたり・・

それで辞めてしまう選択をする人達を見ながら
「想いの熱さって、結果マイナスな事が多いのかな・・」
って、考えるようになりました。

管理者をさせて頂くようになってからは
「現場の職員さんの、利用者様に対する熱い想いを、
どうすれば良い方法で、伝達させてあげられるか」

考えています。

気持ちが入ると、声が大きくなりますよね。
相手の事を想うと、色々して差しあげたくなりますよね。

出来るなら、それをそのまま表現せずに
「接遇」のフィルターを通して、発信して欲しいなと
思っています。
それは、同じ職員さんに対してもそうです。

相手に伝わらない正論は、意味を成しません。

自分は正論にこだわらずに、お互いが気持ち良く
働けて、利用者様がのんびり出来る環境の
職場、施設、家を皆さんと作っていけたら
いいなあと思っています。

長く介護職を続ける中で、自分の仕事に対しての
介護への向き合い方は

「自分がボランティアをしてでも、相手に尽くす」から

「仕事というフィルターで、気持ちを線引きしながら、
関わる全ての存在の、折り合いをつける」

というものに変わりました。

これは、管理側の立場を経験させてもらっているのも
大きいと思います。

【まとめ】

今回は「福祉に関わるには、強い動機は必要か」
について、書かせて頂きました。

一個人の意見ですので、参考にならないかも
しれませんが、自分に確かに言えるのは
「仕事の介護を始めた時、強い動機なんてなかった」
ことです。

「生きる意味」とか「なぜ生きているのか?」といった
悩みのように「生きる事そのものに明確な目的はなく、
生きていく中で、自分なりの意味を見出す」
ような事と
似ていたなと思います。

日本人は生真面目な気質ですので、考え方も
「他人に迷惑をかけてはいけない」という教え方をしますが
インドでは「人は迷惑をかける生き物なので、他人の事も
許してあげなさい」
と、教えるそうです。

仕事で福祉、介護に携わる方は、自分を守るためにも
色々な価値観に触れて、受け入れる努力をすることって
大事なのかもしれないと、長く介護職をさせて頂く中で
思いました。

というわけですので、人に対して熱い想いがある方は
もちろんなのですが、明確な理由がたとえなくても
「仕事の介護」を始めてみても、良いと思います。

ぼくのように、意思や発信力が弱く、
自分きっかけで成長が出来ない人間でも
周りの環境が成長を促してくれる、そんな仕事が介護です。

読んで下さってありがとうございました。

おりあいことは
こんにちは、ことばです( *´艸`)

今回のテーマは「上手な折り合いの付け方」
についてです。

【折り合いとは?】

「折り合い」の意味ですが
交渉などにおいて、互いにある程度譲り合って
双方が納得できる妥協点を定めること。

互いに意見が対立しないポイントを見出す

とあります。

仕事が嫌になる時って、大体のケースで
「〇〇と折り合いが付かなくなる」場合なのかな
と、思っています。

自分の周りの方々は、大概がそうでした。

ぼくは、今までのバイト歴も含めて
自分から「退職」を選んだ経験はありません。
使い物にならなくて
クビになってばかりでしたので。


今は介護職ですが
介護の業界に入って、まず驚いたことは
「○○が納得出来ないから辞めます」
「○○さんと合わないので辞めます」という
理由で、退職を選択される方が、
とても多いと感じたことでした。

飽くまで主観ですが、他の職種より
「折り合いがつかなくて辞める」という
ケースが多いように思います。

それは、介護士の慢性的な人材不足で
職場を吟味出来ること

(施設に寄りますが)無資格でも働けるなど
採用の間口が広いので、自分に合う職場探しも
比較的容易であることなどが

比較的簡単に、合わなければ別の職場を探そう
思う要因となっているように感じます。

【仕事はしんどいもの】

介護に限らず、仕事はどうしても
継続することが、しんどくなる時もあります。

同僚、部下、上司との人間関係を筆頭に、
モチベーションの低下、環境の変化、
異動、栄転、左遷・・

そんな時、自分の気持ちと上手に折り合いを
付けることが出来れば
、退職を選ばなくとも
なんとかなる・・かも知れません。

あなたのなかの「常識」って、なんですか?

誰かに質問した時に
「そんなことも分からないの?」って
言われてしまうようなこと全般が、
「常識」というものかも知れません。


「常識」は、仕事では如実に表れます。

例えば、グループホームで勤務される
男性介護士の中には、最初は
お米のとぎ方、洗濯物のたたみ方
洗濯機の使い方
など、日常的なあれこれが
分からない方が、いらっしゃいました。

これらは、女性介護士の多くの方には
「常識」の範疇かと思います。

ですが、例えばこれを指導の時に
「え、洗濯機も使ったことないの?」
というリアクションをされると、やっぱり
その方には辛いわけです( ;∀;)

その逆に、洗濯機は使えるけど
パソコンが苦手・・という方も
いらっしゃるかも知れません。

もしパソコンの使い方を指導される時
「え、電源の付け方も分からないの?」
みたいなリアクションを取られたら
腹が立ちませんか?

「自分が知っているだけで、それが
なんでも常識と思うなよ」
って!

「常識」という言葉には、罠が潜んでいます。

お互い、全然折り合いがついていないのに
この言葉だけで、無理やり物事を
着地させようとすると、
トラブルの元になります。

【言葉を尽くすこと】

介護の職場では、申し送りという
業務があるのですが
利用者様の周辺症状を説明するとき

暴力を振るわれ、暴言を吐かれた」とか

割と大きめの独語でした」とか

「あの人の物盗られ妄想は、かなりヤバい」みたいな
表現を多用される方がいらっしゃいます。

「常識」と同様、こういうあいまいな表現は、
認識の齟齬を生みやすいです

人により「暴言、暴力と感じる度合い」は
全然違います。

「死んでしまえ!!」は暴言ですか?

「馬鹿」は暴言ですか?

「身体的特徴を揶揄する言葉」は暴言ですか?


「あなたにとってどうなのか」
お互い分からない以上、物事を伝達する時は

例えばですが「○○と言われました」
「右手で背中を強く押されました」
のように、状況をなるべく言葉を尽くして説明したり
正確な表現を使うようにするなど、

「どうすれば状況を正確に伝えられるのか」を
心がけたいものですね( *´艸`)

【まとめ】

今回は「折り合い」の意味と
「常識」という言葉に潜む齟齬という罠に
ついて、書かせて頂きました。

人と、折り合いが付かなくなると
辛く、苦しいものです💦

この苦しさを少しでも解消するために
相手の事を知ろうと努力したり
理解しようと努めます。

人の相互理解が少しでも進み
気持ちのすれ違いから生まれる
悲しい事件が減ればいいなと願う、ことばでした。

読んで下さって、ありがとうございました( *´艸`)


あっぷことは
こんにちは、ことばです( *´艸`)

あなたは、自分の容姿って好きですか?
今回は「自己愛が過ぎると、どうなるか?」
突き詰めて考えてみたいと思います。

以前のデリカシーに関しての記事で、
社会的に害を成す三つの心理的要素
【Dark Tried】を紹介させて頂きました。

これら三つの要素は、それぞれ区別されながらも
すべての要素が重なりあって、人の性格、性質を
形作っています。

その内のひとつ「ナルシシズム」に分類される
特徴とは、どういったものなのかを
解説させて頂きます。

よろしくお願いいたします(*´v`*)

ナルシシズムとは

語源はギリシャ神話に登場する人物
美少年「ナルキッソス」が、水面に映る自身の姿に
恋をしたというエピソードに由来したものです。

水面に映る自分の姿に恋って・・
インコちゃんみたい(;^ω^)

意味は、自己を愛する、自己を性的対象とみなす
というものから「自己陶酔」「うぬぼれ」といった
意味合いで使われることが多いです。

「ナルシシズム」の性質を持つ方、または
他人にそのような特徴を持つと思われている方を
「ナルシスト」と言ったり、呼んだりします。

日常ではナルシストという言葉の方が身近ですね。

ナルシシズムの問題点

「自分の事を好きって、いいことじゃない?」

このブログでも、
自己評価の低い人に関しての記事や
コミュニケーション障害に関しての記事を
書かせて頂きました。

そういった方に共通する要素として
「自分に自信がない」という事実があります。

自分で自分を好きになることは、
自分に何らかの自信がないと難しいですよね。

その観点からすれば
「ナルシスト」ってむしろ良い事なのでしょうか?

自己評価は、低すぎても高すぎても
社会で生きていく上では、難しいものです。

「ナルシシズム」の性質の問題点は、
とっても簡単に説明すると

常に「俺はまだ本気出してないだけ思考」
なってしまうという事です。

「自分の事が好き」という思考は
「好き」の理由がどこにあるか、が重要です。

容姿、性格、能力、実績、などが
他者と比較して優れていると一目して
分かる場合などは

「他人よりも優れている部分を
有している自分が好き」
というのは
理屈として分かります。

自分を磨いて手に入れた価値に対して
正当な評価が出来ているのならば健全ですが
そうではない場合は、どうでしょうか?

「自分が自分だから理由なく好き」という
自己愛の形は、非常に保身的な考え方であり
「強固なもの」になりがちです。

つまり「理由もなく自分が好き」という思考が
絶対であればなるほど、他人への興味や配慮が
薄くなり、自分を守るため、他人を貶める事に
抵抗感を感じなくなる
、ということです。

「ナルシシズム」は自己中心的な思考であり
その根本を脅かしたり、考えが揺らぐ危険性が
ある場合、

手段を問わず、その脅威を排除しようとする
傾向があります。

対話して相手を納得させようとしたり、
相手の価値観を理解しようと努めるような
考え方にならないということですね💦

ですので「ナルシシズム」の性質の方は
自分を守るための手段が、常に
「相手に対しての攻撃」だったり

「相手より優れているという思い込み」
があるので
「相手の気持ちを無視した言動、行動」
が目立ちます。

上記のような特性を踏まえながら、
「自分は特別」という根拠のない思い込みで
自分以外の物事に対する、あらゆる配慮が
欠けるため、

関わる周囲の人間を疲弊させる
目的のために他人を利用する、などが
主な問題点といえるでしょうか(;^ω^)

ナルシシズムのメリットは?

では「ナルシスト」と関わることの
メリットとは、なんでしょうか?

これは「自己を愛する方法を学べる」こと
かなと考えます。

自己肯定感の低い人であれば
「自分を好きになるためのヒント」を
「ナルシシズム」の考え方から、学ぶことが
出来ます。

「ナルシスト」はポジティブな性質の方が
多いです。「自己を守るため」なのですが
「失敗」しても他責にしますし、自己愛を
高めるためならば「努力」もします。

自己愛の強さは自信に繋がりますので
目標が決まれば、それに向かって
能動的に動くエネルギーも豊富です。

上手く歯車がかみ合えば、社会的に成功する事も
出来る、考え方なのです。


対して「自己肯定感が低い」事は、直接
他人に迷惑をかける事は少ないかも知れませんが

「社会で成功したい」という願望があっても
自信の無さから能動的に動くことが出来ず
チャンスを逃したりすることが多いようです💦

「自信が無いこと」は
「過剰に根拠のない自信がある」
ことよりも
実は、難しい問題かも知れません(;^ω^)

「ナルシスト」の考え方、価値観は
なかなか理解できないかも知れませんが

いまは理解できない考え方にも
「参考に出来る」ことが必ず隠れているものです。

自分を評価することが苦手な方は、
他人への観察眼を凝らして下さい。

きっといつか「自分に転化」出来る日が
きますよ(*´v`*)

ま と め

今回は「ナルシシズム」「ナルシスト」
ついて、書かせて頂きました。

「ナルシシズム」とは「自己陶酔」や
「うぬぼれ」といった意味合いの言葉で

「過剰な自己愛」を有した性質の方を
「ナルシスト」と呼びます。

周囲に「ナルシスト」な考え方を持つ方が
いらっしゃる場合は、対処方法を考えないと

振り回されて疲れたり、(自分を守るため)
攻撃されたりというデメリットがありますが

自分に自信を持てない、という人の場合は
積極的に観察してみても、いいかも知れませんね。

どんな性質も一長一短だったりします。

世間ではマイナスイメージ一辺倒な言葉も
実際関わってみたら、全然違ったなんてことは
よくありますよね(#^v^#)

「レッテル」ではなく「その人自身」
関わる中で、自分も成長出来たら
素晴らしいですよね。


よんでくださって、ありがとうございましたっ



まうことは
こんにちは、ことばです( *´艸`)

いきなりですが、あなたは
人の気持ちが分かりますか?

ぼくには全然分かりません(;^ω^)

そもそも人の気持ちって、なんなんでしょう?
気持ちが分かるとは、どういう事なのか・・

今回のテーマはサイコパスについてです。

以前のデリカシーに関しての記事で、
社会的に害を成す三つの心理的要素
【Dark Tried】を紹介させて頂きました。

これら三つの要素は、それぞれ区別されながらも
すべての要素が重なりあって、人の性格、性質を
形作っています。

その内のひとつ「サイコパス」に分類される
特徴とは、どういったものなのかを
解説させて頂きます。

よろしくお願い致します。

サイコパスとは

サイコパスとは、一般社会的な観点からみて
「反社会的な人格を形成されている方」を指す、
人格障害の一つです。

和名では『精神病質者』と呼ばれています。

どういった特徴を持つ方が、一般に
サイコパスと分類されるのでしょうか?

・他人への共感能力が低い
・感情は希薄だが、表現能力は高い
・自信家で魅力的
・偏った思考
・嘘をつくのが上手い
・他人を心理的に操るのが上手い


などなど・・
これだけでも、人と違う感じを
醸し出していますね。

ひとつずつ、簡単に説明を
させて頂きますね(*´v`*)

共感というのは、例えば
相手が悲しそうな表情、態度を表しているとき
それを見た自分が「相手が悲しんでいる」という
ことを「理解できる」という事です。

悲しそうな相手をみると、自分も悲しくなったり
することが、共感です。

介護の仕事では「受容と共感」という言葉で
高齢者の方と接する心構えをお話する事もあります。

「介助者は相手の想いを受け止め、その
評価をせず、ただ分かろうと努めることが、
相手の満足度を高める、質の良いケアに繋がる」

という、介護の考え方の一つです。

共感する能力が低いというのは

相手が悲しんでいても、それが「理解できない」
相手が喜んでいても「気持ちを推し量れない」
という意味なのだと思います。

ですが人間は、常に相手に共感して
生きているわけではありません。
共感は、相手との関わりや状況に寄ります。

「誰もが感動する話」を聞いて、
泣けなかったとしても「共感能力が低い」と
括るのは、早計かなと思います。

・感情が薄いというのは
外界からの刺激に対して、あまり感じ入るものが
ないという意味です。
いわゆる「クールキャラ」です。

感情が薄くても、その表現が魅力的であれば
相手には「とても感情豊かな人だな」という
ような印象になります。

・自分に自信のある方の発言は、内容如何よりも
声量や口調から、相手が説得力を感じてしまいやすい
ようです。

・人の思考は偏るものですが、その偏り方が極端で
社会や他人に損害を与えるようなものが
サイコパスの方には多く見られます。

・「嘘」は事実と異なる発言を
意図的にすることですが

「嘘」を吐く本人が「事実」と「思い込んでいる」
場合、相手にはそれが「嘘」かどうか
判断することも、難しい場合があります。

・上記の特徴を持つ方が他人と接する場合
多くの人が、その人を「魅力的」だと
認識してしまいます。

相手に好意を持たれれば、相手の行動を
制限したり、支配したりという事も
可能になってきます。


では、こういった特徴を持たれた方と
上手く接するには、どういった態度を
取った方が良いのでしょうか?

サイコパスとの関わり方

サイコパスは「精神的な病変」のひとつで
精神の病気は、そのカテゴリの中でも
様々な幅があります。

マイナスに捉えられる事が多いですが
「自分の性質を自分で把握」している方は

サイコパスの特徴を持つ方でも、自身を活かして
ビジネスの場で成功されている方も多いようです。

ただ「サイコパス」の性質を持つ方が周囲にいる
環境は、それに関わる人を消耗させやすいです。

相応の対処方法を、事前に考えていく必要が
あるかと思います。

サイコパスの特徴は多様ですが、
表現は限られます。気を付けるべきこととして、
以下の点が挙げられます。
(相手がサイコパスの特徴を持つ場合)

・感情的な対処をしない

・自分の主張は、ある程度決めておく

・積極的に関わりを持たないようにする


当たり前ですが、人の想いの表現手段は
「言葉」によるコミュニケーションが
大部分を占めます。

言葉は、自分の感情をストレートに乗せるほど
伝えたかった「本来の意図」が
相手に伝わらなくなってしまう
なかなか難しいツールです。

サイコパスの特徴を持たれる方は
感情が希薄なので、言葉に感情が乗りません。

ですが表現自体は上手なので、
言葉に抑揚を付けたり、間を上手く使うなど
「言葉での想いの伝え方」を、
よく分かっている方が多いです。

そういう方に感情的な対処をする事は
「弱点をさらけ出している」ようなもの
ですので、努めて冷静に会話をするように
心掛けた方が良いかと思います。

また「自分はここまでは譲ることが出来るが
このラインを越える事は絶対に出来ない」

いうような「自分ルール」は
きちんと決めておいた方がいいかなと思います。

サイコパスの特徴を持つ方は
相手へお願いすることも上手です。

気づいたら、相手の手足のように
動いていた、なんてことにならないように
「なあなあ」にならず、距離感を把握しながら
関わった方がいいかなと思います。

一番良いのは「自分からは関わらない」こと
ですが、仕事などの場合は、なかなかそうも
行かないですよね💦

まずは相手をよく観察することが
大事なのかなと、思います。

ま と め

今回はサイコパスについて
書かせて頂きました。

サイコパスとは一般社会的な観点からみて
「反社会的な人格を形成されている方」を指す、
人格障害の一つです。

サイコパス=犯罪者というわけではなく

ご自分の性質と向き合いながら、その能力を上手に
社会の中で活かしておられる方も大勢おられます。

人は、誰しもサイコパスの性質の一端を
持っています。

大事なのは、その人それぞれの「違い」を知り
評価ではなく「まず受け入れ、尊重する」という
単純な作業です。

自分も、過去に職場の先輩で、
仲良くして頂いた人に「人の気持ちが分からない」
と言っていた方がいました。

その人は当時女性と6股をしていて、ぼくに
「こんなメールがきたけど、どう思う?」
などと言って、ぼくの反応を
楽しんでいたように思います。

「どうして6人の人と
同時に付き合えるんですか?」

みたいなことを質問したら

「特別という感覚がないから。
1人だけと付き合う方が、俺には不自然に思える」

みたいな事を、言っていました。

いま、思い出しても、理屈がさっぱりです(;^ω^)

先輩がサイコパスの性質を有していたかは
分かりませんが、魅力的な人だったのは
間違いありません。

・・良い悪いはさておき、人間は、ほんと
得体の知れない不思議な生き物ですね(*´v`*)


さて、ぼくはその先輩に言われたことがあります。












おまえは、おれに、よく「似ている」と。


ほうこくことは
こんにちは、ことばです( *´艸`)

今日のテーマは
「今月のPVとUUをお知らせします」
という内容です(*ノωノ)だいにかい。

こちらが前回の記事です。
「第1回ブログの今を、ご報告するの巻」


ことばの【0からのビジネス】ゼロビジブログ
(先日タイトルを変更しました)も
2019年8月2日から始めて、今日で47記事目です。

何度も書きますけれど、このブログは
後々収益化を目指しています。

アドセンスか、アフィリエイトかは
考えますが、目標は
「数年後に毎月500円以上」です( *´v`)

正直、収益化の目標があるので
毎日更新を維持できています。

タイトルや方向性が今後、変わろうとも
そこはブレずに、目指したいなあと
思っています。

そして、進捗状況のご報告は毎月、
定期的にさせて頂きます(*´v`*)

よろしくおねがいいたします。

【PVとUUのご説明】

「PV」(ページビュー)とは
このブログが何回開かれたか数値です。

ぼくがブログを開いても、あなたがブログを
開いて下さっても「1」カウントされ、
更新する(ページ移動する)たびに増えます。

「UU」(ユニークユーザー)とは
このブログに訪問して下さったの数値です。

ぼくが訪問しても、あなたが訪問して下さっても
「1」カウントされます。

日付が更新されるまでは、同じ方が
何度ページ更新しても
こちらのカウントは増えません。


それでは、この記事を書いている
段階の数値をご報告します('◇')

現在の総PV数が331
現在の総UU数が100


となっております( *´艸`)

月別で見ると・・
2019年8月は、PV154、UU50
2019年9月は、PV177、UU50


となっております。

ちょっと数字が伸びましたねっ(#^v^#)

しかも、今月は「水増し」をあんまり
していないんです。

先月の数字は、正直8割自分が訪問してます。
今月は3割くらいです。3割・・いや4割・・。

緩やかな右肩上がりです、うへへ。

まだ9月は日数もありますので、PV、UUとも
増えてくれたら嬉しいです。

これは、実際にこのブログを読んで下さる方が
増えている
という事で、本当に感謝しています。

ありがとうございます。

UUの0更新が続いた日は、自分で勝手にしている事
とはいえ、やっぱり凹みます(;^ω^)

「やはり、常に石ころぼうしを被っているような
ぼくのすることなど、誰の目にも留まらないよな」

みたいな思考になります。

これで「1」でもカウントがあると
救われるというか・・。

だから「0」が確定しそうな日は
自分で訪問して「1」を付けています(*ノωノ)

・・ああ、なんというよわいにんげん!

あと、ツイッターとかで検索していると
「初心者ブロガーが、2か月目で
月収〇〇万達成!」
とかの報告ばかりで
正直これも、自分との落差に激しく落ち込みますw

こういう時サラリーの収入がある事で
救われています。

副業を考えていない時は
「早くセミリタイアしたい~」みたいに
軽く思っていましたが、

いざ実際に副業を行動に移すと
「いや、今の状況では仕事辞められない」
みたいな思考になりました。

あと、イケダハヤトさんの動画で
勉強している時に、イケハヤさんが

「ブログで食べていくなんて、音楽で
食べていくのと一緒」
と仰っていまして
「なるほど・・」と感銘を受けました。

才能と運の世界でもあるのですね。
やっぱり、簡単に考えていたなあと思います。

でも、これも行動に移したからこそ
実感できたことです。

目標は「PVとUUの推移を確認しながら、
出来るだけ毎日更新をする。更新しない日は
自分なりに分析をして、リライトもする」

上記の作業を繰り返しながら「1000記事」
書いてみようと思っています。

「1000記事」は、今のペースなら
多分3年くらいで到達出来ると思いますので
その間に収益化できればいいなとも
思いますし、無理ならまた考えます(*´v`*)

きっと色々あると思いますが、数字の推移も
自分のこころの動きも、なるべく隠さず

報告出来ればいいなと思っています。


今回の更新報告は、以上となります。


よんでくださって、ありがとうございましたっ


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